話題の映画『国宝』を観てきた。なかなかに感情を揺さぶられ、感動とともに心身にどっと疲れた3時間だった。
思い返せば、映画館で映画を観るのも1年以上ぶりで、インド映画の『RRR』以来。
動画配信のサブスクが全盛のご時世。ご多分に漏れず数サービスを契約しているが、あまり利用できていない。自宅で手軽に観れるはずなのに、周囲に流通する情報量、というか雑念があまりに多すぎて、2時間を確保するのが難しい。
スマホがある。PCがある。そして、散歩をせがむ愛犬がいる…全然集中できない。30分のアニメなら見れるが、2時間の映画は集中が続かないことがわかっていて、手が出せなくなっている。
こういう状況なので、映画館で映画を観るのは、作品よりも数時間の集中にお金を払っている気分になる。
で、肝心の作品であるが、売り文句通りの“圧倒的映画体験”だった。
圧倒的映画体験というと「全◯が泣いた」並みの陳腐なフレーズに思えるが、これには映画館でないと得られない栄養素がある。
顔の穴という穴から出る液体で化粧がデロデロになり、ジョーカーのようになっている表情に迫るカメラワークは、普通の観劇では得られない迫力。役者の呼吸音から衣装を着替える時の布が擦れ合う音、誰もいない舞台の無音…こういう音響の妙も、映画館ならでは。
ストーリーは雑に言うと、『キッズ・リターン』のような展開。テーマは歌舞伎という伝統芸能における血筋と才能の相克がひとつ(ただし、YouTubeに上がっているインタビューで、歌舞伎界出身の寺島しのぶさんは「これは夢ですね」と言っていたので、この点は現実離れしたフィクションなのかも)。
そして、実際の歌舞伎を観たことのない自分にとって(単純に観てみたいという気持ちはあるものの)、スキャンダルで役者個々人にダメージがあっても歌舞伎界としては脈々と続いていて、良くも悪くも秘境のようなイメージがある。タブーが多く「女性問題も芸の肥やし」というのがやや通用している感じに引く…そういう微妙な目線である。
一方で演技、衣裳道具、音曲、舞台装置…多くの人の手によって伝えられてきたことが本編の随所に描かれているが、それらがスキャンダルで全否定していいとは思わない重みで伝わってくる。そこは確かにリアルな美で、作り手の本気がある。即席で、一流の歌舞伎役者を作り上げた2人の俳優の、努力と気迫は想像もできない。
虚実ないまぜの作品だろうし、どこまでがフィクションなのかどうか判断できるほどの見識はないが、自他を傷つけてでもしがみつく、魔境としての歌舞伎の一面をうかがい知ることができたのかもしれない。
劇場から外に出ると、日常がどっと押し寄せてくる。帰りながら「晩ごはん何しよ…」という雑念とのせめぎ合いが始まり、余計に思考に疲れてしまう。加齢で感情の体力が弱くなっているのを感じる。
とはいえYouTubeをダラダラ観る日常には、ちょうどいいカンフル剤である。


