【よしなしごと】男女共同参画の専門誌に寄稿。男性目線のジェンダー平等といわゆる有害な男らしさとの付き合い方について

【よしなしごと】男女共同参画の専門誌に寄稿。男性目線のジェンダー平等といわゆる有害な男らしさとの付き合い方について|スタジオ・ボウズ よしなしごと

人生の課外活動として、一般社団法人チェンジングメンで男性によるジェンダー平等実現に取り組む活動に関わっている。団体のテーマは「ジェンダー平等を男性の自分事に」。

ジェンダー平等というと、とにかく女性の問題として捉えられがちで、男性には関係ないという無関心や敬遠がある。

しかしこれまでの男性優位のかたちで、(表面的にでも)上手くやれた時代は終わった。不景気が長く続き、そこに来て少子高齢化は待ったなし。ジェンダー不平等が人権課題であることに加え、女性は家庭を守っていてね、では社会がもう回らない。

その現状を念頭に、男性が主体となってジェンダー平等推進を考えるのがチェンジングメンの趣旨である。ジェンダー平等は男性にこそ必要なのだと。

この背景にあるのは、最近たびたび指摘される「有害な男らしさ」である。

「男は泣くな」という感情の抑止、「女性をコントロールしてなんぼ」という性差別意識、「支配的であれ」とする暴力・ハラスメントの肯定、が主な特徴である。

これが男の美徳だする価値観は、残念ながらまだ残っている。実際はこれに男性が身悶え苦しんでいるが、何もないかのような涼しい顔をしようとする。これが男性自身も他者も傷つけ苦しめる。

私はこれら特徴が、ご多分に漏れず「男ってそういうもん」という感覚で受け入れていたクチであるが、あるタイミングから「なんとバカバカしいことか」と感じるようになった。男らしさを全否定はしないが、自他に有害な痩せ我慢はもうやめようという話である。

チェンジングメンを通じて、男女共同参画の専門誌に寄稿した。内容は活動紹介である。

月刊 We learn 2025年6月号((公財)日本女性学習財団)

今号のテーマは「“男らしさ”のその先に」。ライターの武田砂鉄さんの巻頭言「どうやったら有害な男性性を手放せるのか、と問われたら」はPDFで公開されているのだが、これが膝を打つ内容である。

どうやったら有害な男性性を手放せるのか、と問われる。こうすれば手放せます、と語り出したらマズい。常にその有害さの発生を自分で監視し、あるいは指摘してくれる声をしっかり受け止めて、検証し続けるしかない。

巻頭言「どうやったら有害な男性性を手放せるのか、と問われたら」武田砂鉄(PDF)

【よしなしごと】男女共同参画の専門誌に寄稿。男性目線のジェンダー平等といわゆる有害な男らしさとの付き合い方について|スタジオ・ボウズ

「有害な男らしさ」というのは、大なり小なりすべての男性(性自認)が持っているものだと思う。

こういう活動に関わっているからと言って、有害な男性性から自分は開放されてるんですよ、1歩先を行ってますよ、などと言うつもりはまるでない。おっさんという年齢になればなるほど「あーやっちまったな」という機会は反比例で増えていくから。

不断に自己チェックする。たまに漏れ出る有害さを振り返り、一人反省会をする。「こうすれば有害さを手放せますよ」、そんなライフハックだかには眉に唾をつける。

こういうテーマを通じて話をする女性からは「男性も大変なんですね」という共感をもらうこともある。「うーん、なんかちゃうねんな」と、これもどこかムズ痒い感覚を覚える。

別に女性に気に入られようと思っていない。そもそも女性の味方になろうという話ですらない。どこまで行っても、これは男性自身のための作業である。

生活と仕事のあらゆる場面で「男ってこういうもんだから」という思考停止のゲートがある。そのゲートに頭を突っ込んで匍匐前進するしかない。背中にうっすら張り付いて離れない、自分の有害さをうっとおしく思いながら。